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戦国の世
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源頼朝が京都を離れ、幕府を鎌倉に開きますが、京都が衰退していくわけではありません。ただ質実剛健な鎌倉幕府による封建政治は、京の人々には相容れないものと映ったことでしょう。鎌倉の北条氏の執権政治に、幕府の混乱や弱体化が見え始めると、後鳥羽上皇は北条氏追撃を画策します。1221年(承久3年)、承久の乱は後鳥羽上皇の敗北に終わり、幕府は六波羅探題を設置し、朝廷を監視し始めます。それと同時に、京都の社会や経済の全般にわたって権力を強化させていきました。天皇とその側近たちはその後も、討伐の計画を練っては実行を繰り返しましたが、挫折するばかりでした。足利尊氏が六波羅軍を破るに至ってようやく、鎌倉幕府は瓦解します。
京都では後醍醐天皇が天皇院政をとり始め、建武政治と呼ばれましたが、数年で崩壊します。新政から離反した尊氏が北朝を立て、後醍醐天皇は吉野に逃れて南朝を開きます。ここに朝廷がふたつに分かれる南北朝が始まり、京都争奪戦が繰り返されます。この南北朝を統一するのが、3代将軍足利義満です。彼が室町の「花の御所」で政治を行ったことから室町幕府と呼ばれるようになります。花の御所は1377年(永和3年)に造営されました。鴨川から水を引き、四季折々の草花が植えられた美しい御所でした。
室町幕府は有力守護大名との連合政権であり、細川氏、斯波氏、畠山氏などの3管領をはじめ、全国の有力大名が力をつけていく体制でした。さらに1467年(応仁元年)、8代将軍義政の跡目争いに、守護大名の家督争いも巻き込み、応仁の乱がおこります。この応仁の乱により、京の町は灰燼に帰します。
室町幕府の時代には、京都に二つの文化が花開きました。ひとつは華麗な足利義満の北山文化です。公家文化と武家風禅宗文化が融合し、五山文学や墨画、能楽、連歌などが流行します。この北山文化の象徴ともいえるが、現在も残る金閣寺です。金閣寺は足利義満が建てた山荘北山殿で、義満の死後は菩提所となりました。この金閣寺は応仁の乱の戦火も免れましたが、1950年(昭和25年)の放火で全焼し、現在のものは5年後に再建されたものです。室町時代のもうひとつの文化は東山文化で、8代将軍足利義政の東山殿を中心に生み出されました。幽玄と簡素を尊び、庭園、書院造、茶の湯、華道などが花開きました。東山文化を代表するのが銀閣寺で、足利義政により1482年(文明14年)に建てられました。侘び、寂びを感じさせる風流な建物と、白砂の庭園と円錐形に盛られた向月台は独特の景観を作り出しています。
京都の歴史に関する質問
- 京都の歴史ある観光スポット☆
- 2007-11-28 13:13:00
- 京都についての紹介レポートを書くことになりました。自分は生まれてこの方京都に言ったことがないし、生の意見が聞きたいので教えてください。京都の歴史ある観光スポットや、歴史あるイベントについて調べてみようと思っています。ぜひ
- 京都の寺社の歴史について。古い建造物で国宝や世界遺産に指定され
- 2008-02-04 13:14:00
- 京都の寺社の歴史についての質問です。京都市において、江戸時代以前に建てられた寺院or神社で国宝や世界遺産の指定を受けていない建造物ってありますか?清水寺とか歴史的に古いものは何らかの指定(世界遺産・国宝)を受けていると思う
- 京都寺町通の歴史について。
- 2008-06-18 15:16:00
- 文字通り、京都寺町通の歴史について調べていますが、中々資料が集まらず困っています。本やHPなどの資料などをご存知の方、お教えください。