• 平安遷都

  • 京都の歴史はやはり、奈良の都を桓武天皇が京に移したことから始まるでしょう。奈良の平城京の時代は、天武系の天皇が皇統をつないだ70年余りありますが、この間に天皇家に藤原氏がくいこみ、権力をほしいままにし、血なまぐさい争いが絶えませんでした。桓武天皇は天智系の天皇として即位し、この争いから生まれた古くさいしがらみや怨恨を絶ちたく、遷都を決意します。新天地で新しい政治を行い、新しい御代を続けていきたいという並々ならぬ思いが、遷都には込められています。

    桓武天皇が遷都の地に選んだのは、初めは長岡京でした。784年(延暦3年)のことです。ところが、造営工事の最中、工事責任者の藤原種継が現地で暗殺されるという事件が起こります。この殺人事件の首謀者として捉えられたのが、天武天皇の弟である早良(さわら)親王です。しかし、早良親王は無実を訴えて絶食し、自死してしまいます。この事件ののち、桓武天皇の母、皇后、夫人などの死去が相次ぎ、親王の祟りにおびえた桓武天皇は、長岡京を忌み嫌い、再び遷都を思いつきます。

    長岡京の後に選ばれたのは、その北方に位置する、三方を山に囲まれ、南に向かって開かれた盆地でした。盆地は大きな川に囲まれ、水陸の便がよく、都を奥にふさわしい条件がそろっていました。ここに平安京が誕生します。都市整備はきめ細かで、碁盤の目が美しく、その地名の多くは千年の時を隔てて、現代でも受け継がれています。この平安時代は400年続き、政治は天皇から摂関政治、院政へと形態を変えていきます。またその一方で、政治がある程度安定しているため、国風文化が花開き、日本独自の美意識が育まれた時代でもあります。やがて武士が登場し、源平の騒乱の時代へと続く激動の渦中でも、京都は一貫して日本の中心であり続けます。

    平安時代の最後の100年は、院政と武士の台頭により、血なまぐさい激動の時代でした。政治の実験を握る上院に接近して、頭角を現すのが源氏と平氏です。どちらも天皇家を遠い祖先に持つ名家であり、豊富な財力と武力を背景に貴族社会に食い込んでいきます。保元・平治の乱に勝利した平清盛は、権力の階段を昇り始めます。「兵士にあらずんば人にあらず」と驕った平家は、政治の中心の六波羅に次々と屋敷を構え、20年の栄華を極めます。しかし、1180年(治承4年)に以仁王と源頼政によって平家打倒が決起されると、翌年、平清盛が亡くなったこともあり、急速に源氏の世へと傾いていきます。

京都の歴史に関する質問

  • 京都の歴史ある観光スポット☆
  • 2007-11-28 13:13:00
  • 京都についての紹介レポートを書くことになりました。自分は生まれてこの方京都に言ったことがないし、生の意見が聞きたいので教えてください。京都の歴史ある観光スポットや、歴史あるイベントについて調べてみようと思っています。ぜひ
  • 京都寺町通の歴史について。
  • 2008-06-18 15:16:00
  • 文字通り、京都寺町通の歴史について調べていますが、中々資料が集まらず困っています。本やHPなどの資料などをご存知の方、お教えください。